有安杏果さんのももクロ卒業の報に接して

昼食を取りにマクドナルドに行って、お盆をテーブルに置こうとしたときに、たまたまスマホツイッター画面で、杏果のブログ更新を知らせるももりこぶたのツイートが目に入ったんですが、「ファンの皆様へ」というタイトルにすごく嫌な予感がして、胸がギュッとしました。

 

ケガか病気か、熱愛発覚か、とにかく良くないニュースなのは間違いない、とは思ったんですが、卒業とは…。

全く思いもしませんでした。

 

ももクロはずっとあの5人でずっとやっていく。

あの5人はずっとももクロとしていてくれる。

本人たちもそう公言してたし、そう思い込んでいたんですが。

 

でも考えてみれば、そんな保証はどこにもないですよね。

生身の女の子が偶像たらんとするアイドルなんて本質的に矛盾した存在で、それが本

人らにかける負担は想像することもできないんだろうし。

 

でも、ももクロなら、あの奇跡の5人ならそんな不可能も乗り越えてくれるんじゃないかという期待、希望をもってたんですよね。

それが叶えられなかった。

杏果がももクロを辞めるというのもショックだし、ももクロが残り4人になってしまうというのもショックだし。

 

午後は、このことで頭がいっぱいで、まったく(ほんとにまったく)仕事になりませんでした。

胸にぽっかり穴があいた喪失感で。

 

でも、テレ朝チャンネルの、川上アキラのひとりふんどしに5人が揃って出て、経緯を報告するのを見て、何だか少しすっきりしました。

5人と川上さんが、この話題を何とか明るくポジティブに取り扱ってもらいたいとにぎやかに振舞っていて、杏果はとてもすっきりした顔をしていて。

 

ももクロであることが有安杏果にとって辛いことで、そこから逃れたいということでの「卒業」なのだとしたら、こんなに辛いことはないですけど、多分そこまでのものではないんだろうと。

卒業の理由は、公式発表どおりのことに尽きるのかどうか、自分には分かりませんが、ひょっとしたら、ももクロでいることを辛く思ってしまうことを避けるための、ももクロを大事に思うからこその「卒業」だったのかなとも感じました。

 

前に、亡グループアイドルの元メンバーが、「このままグループにいたら取り返しがつかなくなるからその前に辞めたかった。」という趣旨のことをラジオで言って、ちょっとした騒ぎになったことを思い出しました。

それとはちょっと違うんだろうけど、でもアイドルっていう、若く未熟な女の子が成長していく様を愛でる(のが一般的とされる)タレント業を、ずっと続けていくというのは、想像以上に心身を消耗させるものだろうと思います。

特に、紅白とか国立とか明確な目標を達成してしまい、「ずっと存続させる」こと自体が目的となった今のももクロでいることは、先の見えない道のりのようなものかもしれない、と思っていました。

有安さんの、すっきりした顔から、そんな重圧を逆に感じました。

 

そうだとしたら、我々としては言えることは何も無いですよね。

 

自分は、何より彼女らの幸せを願っています。

ももクロでいることが彼女らの幸せの妨げとなるなら、ももクロを捨てて自分の幸せを取ってもらいたいと思ってます。

だから、有安さんの今回の選択を支持します。

同時に、ももクロでいつづける決断をした、残る4人のももいろクローバーZを愛し応援し続けます。

 

そして、有安さんが、いつか、ももクロにまた帰ってきてくれるのを待っています。

半端なことが嫌いな彼女だから、「今はもう辞めることしか考えてないし戻ることを前提にはしてない」って言ってましたけど、可能性としては否定しなかった。

そうである以上、待つこと自体は許されるんだろうと思います。 

今は、本人が一番、言ってもらいたいという、「お疲れ様」の言葉を送りたいと思います。

 

ココロノセンリツ♪

 

 

 

読書感想「キネマの神様」☆☆☆☆☆

 

キネマの神様 (文春文庫)

キネマの神様 (文春文庫)

 

 無職の娘とダメな父。ふたりに奇跡が舞い降りた! 39歳独身の歩は突然会社を辞めるが、折しも趣味は映画とギャンブルという父が倒れ、しかも多額の借金が発覚した。 ある日、父が雑誌「映友」に歩の文章を投稿したのをきっかけに歩は編集部に採用され、ひょんなことから父の映画ブログをスタートさせることになった。〈ゴウ〉のハンドルネームで父が書くコラムは思いがけず好評を博し、借金とギャンブル依存から抜け出せそうになるが、ある時〈ローズ・バッド〉を名乗る覗の人物に反論されて……。 〝映画の神様〟が壊れかけた家族を救う、奇跡の物語。

 正月のイオンで5時間くらい時間をつぶさないといけない事情があって、「正月からあんまり暗い話を読みたくないな」と思って何となく選んで持って行った本でした。

なんかメンタルが弱ってたのか、えらく感動してしまい、イオンのスタバで不覚にも落涙しちゃいました。

 

ストーリーとしては、まあおとぎ話ですよね。

「いや、そんなことあり得ないでしょ。」とか「リアルじゃない」と言い出したら、そりゃそうごもっともなんですけど、そこを言っても仕方ないというか。

だからこそ「神様」の話なんだし、映画「フィールド・オブ・ドリームス」が取り上げられてるのも、そういう暗示なわけでしょう。

 

ただ、おとぎ話にだって、面白いおとぎ話とつまんないおとぎ話、つまり単なるリアリティの無いご都合主義と、上質のファンタジーがあるわけです。

この小説は、根底に映画に対する愛があって、映画の設定・ストーリーを借景のように使いながら、父と子の物語、危機(死)と回復(再生)の物語を重層的に描くことに成功してるので、感動的なファンタジーになり得てるんだと思います。

 

正月から良い小説を読めました。

映画好きで優しい物語を欲している人におすすめです。

 

 

NHK大河ドラマ「西郷どん」第1話感想

連続ドラマというのがどうにも苦手で、1クールでも通してみたものは片手で数えるくらいしかなく、まして1年という長丁場の大河とくると、実家で親とみていたころの「いのち」と「独眼竜政宗」くらいしか思い浮かばないんですが、今年は何といっても西郷隆盛ですからね。

頑張って1年、見続けたいと思います。

 

なんせ、鹿児島の人間にとっての西郷さん(鹿児島弁では「せごさぁ」でしょうか。)は、ちょっと他の地域でそれに相当する偉人はいるんだろうか、というくらいの人気・愛着でして(自分は鹿児島ネイティブではなくて、ほんの一時期、住んでただけですが)。

パッと思いつくところでは、熊本の加藤清正もすごい人気といいますね。

ただあれば土着の人じゃないですし、鹿児島の人が西郷さんに感じる、身近さというか心からの愛着とはちょっと違う気がします。

高知の人にとっての坂本龍馬、というのはかなり近い気もします。

 

そんなわけで、昨日、第一話が放映されたわけですが、感想としてはなかなか良かったんではないでしょうか。

子役はみんなかわいくて芸達者だし、なかでも西郷小吉(のちの隆盛)役の子(渡辺蒼君、というんですね。)は、将来に西郷隆盛的な大物になりそうな雰囲気がありました。

郷中の雰囲気というのも、ああこういう感じだったんだ、と腑に落ちる感じがありました。

下鍛冶屋町と高麗町の郷中どうしで喧嘩してましたけど、今の鹿児島市内なら「すぐそこ」という感じの近さですが、郷中どうしで張り合ってたんですねぇ。

 

後の糸夫人とのアレコレは、ちょっと今の価値観が入りすぎてる感じがしてあんまり好きな演出じゃないですけど、まあテレビドラマだし、許容範囲ではあると思います。

 

何より、斉彬に扮する渡辺謙の存在感というかカッコよさが際立った第一話でした。

これは見た人のほとんどがそう感じたのではないでしょうか。

 

斉彬という人は、かなり年を取ってから藩主になった人で(その経緯はまたドラマで触れられるんでしょうが)、歴史の表舞台に出てくるのが中年以降のため、これまでの幕末物のドラマではイメージとしては地味な印象があったんですけど(たとえば、「翔ぶが如く」では当時53歳の加山雄三でした。)、ナベケン斉彬は颯爽として、精悍で、それでいて理知的で、かっこよかったです。

こういう斉彬だからこそ、目をかけられた西郷は、信仰するように仕えたんでしょうね。

華やかなだけじゃなくてドラマについても説得力のある良いキャスティングだと思いました。

 

あと、オープニングの桜島の美しさね。

鹿児島に来た人は誰でも、思ったより桜島が大きいことに驚くと思います。

なんせ、市内から1キロかそこら先の海上に、1000m級の山が聳え立ってるわけで、その雄大さというのは言葉ではなかなか表せられないところがあります。

ドローンでの空撮だと思いますが、それがよく表現された、美しいオープニングだったと思います。

 

以上、今後の展開に期待の持てる、なかなか良い第一話でした。

 

しかし、自分の西郷さんというか幕末の知識は、ほとんど司馬遼太郎と「風雲児たち」でできてますね。

一年間、大河ドラマを追いかけつつ、もっと詳しい人たちの意見等をSNS等でフォローしていけたら良いな、と思います。

 

西郷どん 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド)

 

 

 

今年の3冊(2017年)

年末なので、今年に読んだ本の中からベスト3をピックアップします。

ホントはベスト10くらいいうべきなんでしょうけど、見返してみたら10冊も選ぶべき本が無かったので3冊にします。今年はわりに不作だったというか、あんまり本を読めてなかったみたいです。

ちなみにベスト3ではありますが、順不同です。

 

2011年の棚橋弘至と中邑真輔

 

今年はプロレス、特に新日本を見るようになった年でもありますね。

今、一番、楽しみにしてるテレビ番組は、(「ももクロchan」以外なら)amazonプライムの「有田と週刊プロレスと」ですし、ワールドプロレスリングも録画して見るようになったし。

この本がきっかけというわけでもないんですが、自分の中のプロレスのミッシングリングを繋いでくれた本でもありました。

柳沢健さんの本は、「1976年のアントニオ猪木 」以来、大体、読んでますが、ついにほぼ現代まで追いついた形で、次に来るのは「2012年のオカダカズチカ」なのか「2016年の内藤哲也」なのか。

もう1週間後に迫った東京ドームのIWGPタイトルマッチが一つの試金石でしょうか。

 

八甲田山死の彷徨

秋口くらいに、家の本棚から床にずり落ちてきてたので何気なく読んだ本。

内容は、映画にもなってるので知ってる人が多いと思いますが、明治35年、日露開戦を睨んだ雪中行軍のテストとして、厳寒の八甲田山に挑んだ2つの連隊の遭難記です。

小説なので史実とは少し異なるところがあるそうですが、それにしても酷い話です。

兵隊さんたちがかわいそうだし、無能で無責任な上層部は腹立たしいし、なによりその寒さの描写の酷烈さに読みながら背筋が寒くなります。

寒さに関しては、家人が「『ドキュメント生還 山岳遭難からの救出 』を読んでたら寒くなってきて、台所のテーブルで読んでたのに、いつのまにかコタツに入ってた」と言ってたことがあるんですが、まさにそんな感じです。

その後、冬が来て本格的に寒くなってきましたが、この本のことを思い出すと「なんのまだまだ、これくらいの寒波は八甲田山に比べれば」と耐える力が湧いてきます。

 

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

これを今年のベストに挙げる人も多いでしょうし、内容を今さら説明する必要もないでしょう。

とにかく面白い。熱い。

ポスドクの就職難とか、日本の科学研究の問題も透かし見られるところはありますが、著者の熱さとユーモアで、笑って泣けて、何だかやる気の湧いてくる、良い本です。

それにしても、自分の人生を賭けられるだけの何かを見つけられた人は幸福だと思いますね。

「自分が人類にとってのラストチャンスかもしれない」なんてセリフを言える人が、世界史上に何人いることか。

 

読書感想「名短篇、ここにあり」(北村薫・宮部みゆき編)☆☆☆☆

 

名短篇、ここにあり (ちくま文庫)

名短篇、ここにあり (ちくま文庫)

 

本の目利き二人の議論沸騰し、迷い、悩み、選び抜かれたとっておきのお薦め短篇12篇。半村良「となりの宇宙人」、黒井千次「冷たい仕事」、小松左京「むかしばなし」、城山三郎「隠し芸の男」、吉村昭「少女架刑」、吉行淳之介「あしたの夕刊」、山口瞳「穴」、多岐川恭「網」、戸板康二「少年探偵」など、意外な作家の意外な逸品、胸に残る名作をお楽しみ下さい。文庫オリジナル。

 

書き手としても読み手としても手練の達人お二人による短篇小説アンソロジー。

収録作は

 

普通、短篇小説の良さというと、限られた枚数の中で選ばれた研ぎ澄まされた言葉の切れ味みたいな、鋭角な味わいだと思いますが、ここに収められた短篇小説は、切れ味というよりも、不思議な、変な味わいのものばかりです。

 

「こんな作家がこんな短篇を」というコンセプトらしいのですが、特に吉村昭は「天狗騒乱」みたいな硬派な歴史小説のイメージがあったので、まさか少女を主人公とした、しかもこんな設定の小説を書いてるとは。びっくりしました。

 城山三郎の「隠し芸の男」も、「45歳でやっと課長になった銀行員が新年会で課員に隠し芸を披露しようとしたが…」という内容で、まあ城山三郎らしい経済小説というか財界小説といえばそうなんだけど、なんとも変な読後感の小説です。

 

どれも各作家の代表作でもないですが、短篇小説のアンソロジーを編もうとしてこのセレクションというのは、編者お二人の読書歴の幅広さ・奥深さは舌を巻くしかないです。

 

この短篇集に無ければどれもまず読むことは無かったと思いますが、読めて良かったです。小説を読むことが好きな人にはお勧めの一冊です。

 

 

 

 

読書感想「探偵はバーにいる」「バーにかかってきた電話」(東直己)

 

探偵はバーにいる (ハヤカワ文庫JA)

探偵はバーにいる (ハヤカワ文庫JA)

 

札幌の歓楽街ススキノで便利屋をなりわいにする「俺」は、いつものようにバーの扉をあけたが…今夜待っていたのは大学の後輩。同棲している彼女が戻ってこないという。どうせ大したことあるまいと思いながら引き受けた相談事は、いつのまにか怪しげな殺人事件に発展して…ヤクザに脅されても見栄をはり、女に騙されても愛想は忘れない。真相を求め「俺」は街を走り回る。面白さがクセになる新感覚ハードボイルド登場。 

 

 

バーにかかってきた電話 ススキノ探偵シリーズ

バーにかかってきた電話 ススキノ探偵シリーズ

 

 いつものバーで、いつものように酒を呑んでいた「俺」は、見知らぬ女から、電話で奇妙な依頼を受けた。伝言を届け相手の反応を観察してほしいという。疑問を感じながらも依頼を果したのだが、その帰り道、何者かによって殺されそうになった。そして、ひとり調査を続けた「俺」が知ったのは依頼人と同じ名前の女が、地上げ放火ですでに殺されていたことだった。

大泉洋主演映画「探偵はBARにいる」 の原作が「バーにかかってきた電話」で、そのシリーズ第一作が「探偵はバーにいる」で、多少、ややこしい。

 

ブックオフで2作そろってたので、購入。「バーにいる」から読み始めました。

第一作「バーにいる」も面白かったですけど第2作「かかってきた電話」は素晴らしいですね。

軽妙で、かつ芯の通った「俺」の描写、「俺」が振り回される事件の展開とその意外な真相、親友の空手使いや腐れ縁のヤクザ、謎めいた美女など登場人物も魅力的で。

解説子が「初期の最高傑作」というのも分かります。

ただ「俺」は大泉さんとはちょっとイメージが違うかな。ダブルのスーツを愛用とのことなので、もう少しでっぷりした感じだと思う。じゃあ誰、と言われると困りますが。

 

この本を読んでいて、なんとなく「七帝柔道記」を思い出しました。

 

七帝柔道記

七帝柔道記

 

「七帝柔道」という寝技中心の柔道に憧れ、二浪の末、北海道大学に入学した。しかし、柔道部はかつて誇った栄光から遠ざかり、大会でも最下位を続けるどん底の状態だった。他の一般学生が恋に趣味に大学生活を満喫するなか、ひたすら寝技だけをこなす毎日。偏差値だけで生きてきた頭でっかちの少年たちが、プライドをずたずたに破壊され、「強さ」という新たな世界で己の限界に挑んでいく。悩み、苦しみ、悲しみ、泣き、そして笑う。唯一の支えは、共に闘う仲間たちだった。地獄のような極限の練習に耐えながら、少年たちは少しずつ青年へと成長していく―。

 もちろん札幌が舞台、というのが直接的な理由ですけど、それだけじゃなくて、雪に埋もれた町での男同士の友情とか、割に合わないのに損得抜きでの苦闘とか、読後感のほろ苦さとか。

「七帝」の作者の増田俊也さんはスペンサーシリーズの大ファンとのことですが、あれも、しばしば雪に埋もれるボストンの町と、スペンサーとホークの友情とか、採算度外視のスペンサー的探偵稼業とか、ちょっと似てるとこもありますね。

 

シリーズはまだまだ続巻があるようなので、立て続けに読むのは少ししんどいですけど、ぼちぼち続読していこうと思います。

 

 

 

読書感想「大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争」(辻田真佐憲)

 

大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争 (幻冬舎新書)

大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争 (幻冬舎新書)

 

 

内容紹介

信用できない情報の代名詞とされる「大本営発表」。その由来は、日本軍の最高司令部「大本営」にある。その公式発表によれば、日本軍は、太平洋戦争で連合軍の戦艦を四十三隻、空母を八十四隻沈めた。だが実際は、戦艦四隻、空母十一隻にすぎなかった。誤魔化しは、数字だけに留まらない。守備隊の撤退は、「転進」と言い換えられ、全滅は、「玉砕」と美化された。戦局の悪化とともに軍官僚の作文と化した大本営発表は、組織間の不和と政治と報道の一体化にその破綻の原因があった。今なお続く日本の病理。悲劇の歴史を繙く。

 

「「あてにならない当局の発表」の比喩として盛んに使われている」大本営発表について(もっとも、最近のネットでは、たとえばJリーグの移籍情報について「大本営発表」といえば、オフィシャルに近いマスコミからの確度の高い情報、というように使われることも散見され、少し事情が変わってきているのかもしれません。)、実際はどうだったのか、またなぜそうなったのかを具体的に論じた本です。

今まで知らないことがたくさん載っててこれも面白かった。

 

著者によれば、開戦直後は日本軍が連戦連勝だったために真実を発表すればよく、ほぼ正確な発表がされており、むしろ加熱する新聞社の報道合戦に引きずられるところもあったとか。

それが、よく言われるような、嘘・大げさ・(全滅を「玉砕」とかの)言い換えのいわゆる「大本営発表」となったのは、やはりミッドウェー以後だとか。

正規空母4隻を失って惨敗したことを正直に発表したら国民の士気が下がる、との配慮で、「自然の成り行き」で「航空母艦一隻喪失、同一隻大破、巡洋艦一隻大破」と過少な発表になった。

以後はタガが外れたように、同様の味方の被害は過少に、戦果は過大に(というかありもしない戦果をでっち上げて)発表することが常態化するようになったとのことです。

昭和天皇が「たしかサラトガが沈むのは4回目だと思うが」と言ったのも有名なはなしです。

 

しかし、もともと山本長官が「一年か半年は暴れて見せるが」と始めた太平洋戦争の開戦半年後にあった大海戦がミッドウェーだったわけで、そこで惨敗したのなら、終戦に舵を切っていくべきだったんでしょうね。もちろん、後知恵ですけど。

そこで「国民の士気を下げないために」ということで虚偽発表したのが、以後の太平洋戦争の悲劇の一因なんでしょう。

 

太平洋戦争時の日本軍の組織的欠陥はよく言われるところです。たとえば縦割的官僚機構による組織間不和、情報・兵站の軽視、人命の軽視、属人的技能の尊重と標準化の軽視、責任の所在の不明確さなど。

大本営発表の経緯を見ていっても、日本人としてため息をつきたくなるような愚昧な成り行きに暗澹とします。

たとえば組織間不和の例として陸軍と海軍が大本営発表の片言隻句で対立する様が描かれたり、責任の所在の不明確さの例として、上記ミッドウェーに関する大本営発表が、軍令部と軍務部の対立の中で「自然の成り行き」で決まったりだとか。

この本では、最後に東日本大震災での福島第一原発に関する政府発表や報道等にも触れていますが、言われるまでもなく、太平洋戦争時の日本軍の惨状は、日本人、日本的組織の宿痾として向き合っていかないといけないものだと思います。

 

ところで、マスコミと軍部の癒着についても多く触れられてるんですが、その中で有名な竹やり事件(  Wikipedia )にも触れられていて、知らなかったんですが

最終的に海軍が介入したこともあって。新名は召集を解除され、海軍報道班員となってフィリピンに渡り生き延びた。ただ、一緒に召集された老兵たちは召集を解除されず全員硫黄島に送られて、その多くが戦死してしまった。これほど酷いとばっちりはない。

ていくらなんでもひどすぎないか。

37歳で異例の召集を受けて硫黄島で玉砕するって、本人たちはどう思ってたんでしょうか。そもそも新名記者の「竹槍」記事だって海軍の提灯持ち的記事に過ぎないのであって、そこに東条英機はじめ陸軍が介入したために、こういうことが起こったので、これも日本軍の愚劣さの一例といえるんでしょうね。